Shooters FC
We are crazy about football! No one can stop us! (日本人サッカーチーム in 香港)
SFC Awards 2014-15
2015年06月04日 (木) 16:27 | 編集


今年も恒例のSFC Awardsが京笹での納会で開催されました。
色々な思い出、悔しさ、喜びを振り返り、来季に向けてチームを見つめ直す良い機会にしましょう。

2014-15シーズンの全成績と記録を残しておきます。

【リーガルリーグ】
順位 チーム名    試 勝 分 負 得 失 得失 勝点
5   The Shooters 22 9 2 11 33 31  2  29

【チャンピオンズリーグ(LLカップ)】
順位 チーム名    試 勝 分 負 得 失 得失 勝点
4  The Shooters  5  2  1  2 4 7 11 -4 7
※グループステージ敗退


【チーム内ランキング(全公式戦)】
【得点】
1位 吉村康弘 6得点
2位 津田哲平 4得点
   名取一樹
   杉山俊哉 
5位 齋藤 弘 2得点 
   間野泰光
7位 新田 悠 1得点
   川端勇介
   今井雄一郎
   西井敏之
   井頭英信
   井川洋一
   福谷健二
   田口聖教
   石黒敬司
   垣崎 靖
   二宮義和
   小林佳樹


【アシスト】
1位 小林佳樹 3アシスト
2位 間野泰光 2アシスト
   西井敏之 
   齋藤 弘
   名取一樹
   津田哲平
   杉山俊哉   
   垣崎 靖
9位 Kwan   1アシスト
   石黒敬司
   吉村康弘
   星 哲史
   加藤新竝
   桜井達夫

【SFC Awards】
〈SFCバロンドール〉
1位 名取一樹  42pt
2位 益山秀人  37pt
3位 吉村康弘  24pt

〈最優秀FW〉
1位 杉山俊哉 61pt
2位 津田哲平 53pt
3位 井頭英信 12pt

〈最優秀MF〉
1位 名取一樹 50pt
2位 齋藤 弘 31pt
3位 西井敏之 17pt

〈最優秀DF&GK〉
1位 益山英人 46pt
2位 吉泉光一 34pt
3位 吉村康弘 23pt

〈SFCプシュカシュ賞〉
1位 吉村康弘(vs BOCS)  25pt
2位 間野泰光(vs Goodfellas) 19pt
3位 吉村康弘(vs Revolution) 15pt

〈SFCピュリッツァー賞〉
1位 益山秀人(vs SanPelle)  29pt
2位 井川洋一(vs Samurai Blue) 23pt
3位 西井敏之(vs Goodfellas)  13pt

来季も皆で一生懸命取り組んで良いシーズンにしましょう!

全員、お疲れ様でした!!

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SFC AWARDS 2011-2012 @京笹 2012.5.26
2012年06月19日 (火) 11:55 | 編集
2011-2012シーズンを終えて、今季の表彰者を発表する「SFC AWARDS 2011-12」が開催された。式典のスタート前から会場は大いに盛り上がり、我々のスポンサー「京笹」は貸切状態と化した。

リーグ最下位に終わった昨季を経て、斉藤前主将の提案した戦術の元、チームが一つになりリーグでは6位、そしてカップ戦では見事に優勝を果たしたSFC。リーグ戦の結果だけを見れば決して満足のいくものではないが、5勝6分5敗の成績は当初の目標である「1勝1敗1分」をクリアした成績でもある。そして、念願の初(?)タイトル。意外にも重厚なトロフィーを前に、選手たちの興奮が高まっていった。

FFL CUP優勝トロフィー
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そして、いよいよ「SFC AWARDS」の各賞の発表が執り行われた。まずは事前の投票とは関係なく、シーズンの数字だけで決まる「得点王」。6得点のアグアンことKwanの名前が呼ばれた。

-SFC得点王-
順位 選手名  得点数
1位 Kwan   6
2位 本町    5
3位 長井    4
4位 木村    2
   青柳    2

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「みんなありがとう!」と日本語で喜びを表したKwan。彼の得点力なくして、今季のSFCの躍進はなかっただろう。

さてここからは、事前の選手投票による部門賞へ。まずはポジション別の最優秀選手が発表された。

-SFC最優秀FW-
順位 選手名 ポイント
1位 Kwan  39
2位 本町  32
3位 長井  10
4位 木村  8
5位 山下  4

ここでもKwanが最多得票を取ったため、賞品は2位のマッチこと本町に贈呈された。

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「やっぱりFWは、後ろのみんながいてくれてこそ。みんなで乾杯しましょう!」と、チームメイトに感謝の意を表したマッチ。迫力ある突破と高い得点力にさらなる磨きをかけ、来季はトップを獲得してもらいたい。


-SFC最優秀MF-
順位 選手名 ポイント
1位 井川  38
2位 青柳  28
3位 坂本  13
4位 加藤  8
5位 二宮  6

トップは「SFC AWARDS」の実行委員長兼司会の井川となり、会場はやいのやいのとヤジが飛ぶ。

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momo nino

「あざっす!」と簡潔にまとめ、次に進める司会者よう。試合やイベント、ブログなど、彼のチームに対する貢献の大きさは、あえてここに記すまでもないだろう。

-SFC最優秀DF/GK-
順位 選手名 ポイント
1位 三竹  37
2位 Hin   24
3位 豊田  15
4位 東園  8
5位 脇   5

ボランチとCBで獅子奮迅の活躍を披露した三竹が1位に輝いた。

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「いや、あの、なんも言えねー!」と水泳の金メダリストと同じセリフを口にした三竹。来季の去就はまだ未定だが、誰もが彼の残留を心から願っている。

次は今季最も印象に残ったゴールを決める、SFCプシュカシュ賞が明らかにされた。

-プシュカシュ賞-
順位 選手名(試合) ポイント
1位 原(FFL10)   15
2位 小泉(FFL16)  13
3位 青柳(FFL3)   9
4位 岩井(FFLC1)  8
5位 本町(FFL8/FK) 6

原のクラウツ戦の見事なボレーシュートが選ばれた。

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ただし、この日は原が欠席だったため、「裏7」を受賞した岩井が代わりに喜びのコメントを発した。「たった1点で、裏をもらいました! 次は2点を取って、表をもらいたいと思います! アシストしてくれたニノにも感謝しています!」と面積の広いお腹を出しながら、まっとうなセリフを吐いた。「マラドー、マラドー」の喝采に応えるように、岩井は二度三度と杯を煽っていった。

次は、今季のマッチレポートで最も優れた作品を選ぶ「SFCピュリッツァー賞」。

-SFCピュリッツァー賞-
順位 記者名(試合) ポイント
1位 加藤(FFL17)  31
2位 本町(FFL5)   28
3位 脇(FFL8)    9
4位 豊田(FFLC SF) 4
5位 倉田(HKJ1)   3

大方の予想通り、「家政夫のカトウ」と、主将の愚行を見事にいじくり回したマッチのデッドヒートとなり、わずかに3ポイント差で、加藤が受賞した。

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ただし、加藤も欠席だったため、「裏7」の脇がいつもの微笑みを浮かべながら、受賞の喜びを語った。「みなさん、ありがとうございます。2次会も来てくれるかな!?」と、賞とはまったく関係ないコメントを残し、早くも心は次の戦地へと向かっていた。

そしてそして、大トリは今季の最優秀選手を決める、「SFCバロンドール」だ。

-SFCバロンドール-
順位 選手名 ポイント
1位 Kwan  35
2位 本町  20
3位 三竹  13
4位 豊田  6
5位 井川  5

この栄冠は、ダントツでKwanが受賞した。「最初はシューターズ、たしかに弱いチームだった。でも、みんなで頑張りました」と日本語で話すと、仲間からは大きな拍手と喝采が起こった。6月末から一年間、オーストラリアにレンタル移籍するKwan。さらに成長した姿で戻ってきてくれることを、楽しみにしたい。


toyo jo
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飲んだらややこしいムードメーカーHassy、二次会番長に定着した脇、レク隊長から「天皇」にまで上り詰めた小泉、仕切り上手の川端、Hassy世話役に就任した倉田、秘密兵器・大滝、the 変態・益山、タオルが似合う二宮など、全員がキャラの立ったSFCの宴は深夜まで続いた。

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全選手、シーズンお疲れ様でした!

文 / 内野航平
シューターズ外伝 ~ファニエスタ自伝~
2006年06月29日 (木) 14:44 | 編集
私がデビューしたのはかれこれ5年くらい前になります。
スパイクしかなかったので、スニーカーでやったと思います。

Po Lamのグランドへどうやって行ったかというと、バスに乗って行きました。
下りる場所が分からず、いろいろな人に聞きました。
でも、最終的にはバスを降りてからタクシーに乗ったと思う。

さて、本当のデビューだったので、メンバーは誰も知りません。
グランドに着いたら、ジャニーズ系のかっこいい男がオレだと
シノが言ってましたが、結局最後までどの人がシノだか分かり
ませんでした。

試合後、トンローワンの大阪(今はもうない)に行きました。
そこで、ジンヤにどの牛乳が飲めるかとか教えて貰いました。

いやー、なつかしい。

靭帯を切ったのは、かれこれ2年半前になります。
場所は忘れもしない大抗東です。
ここはEddyが靭帯を切った場所でもあります。

さて、2年半前はFWとして相手DFをチュンチュンにしてましたが、ゴール前のこぼれだまに一早く反応したタツを止める手段として、相手キーパーが取った行為は、なんと飛び蹴り。
足裏から突っ込んできたキーパーは、的確にひざの外側にタックル!! 
ブチッと小さな音が聞こえ、曲がるはずのない方向にヒザが曲がった
気がしたが、審判はそのまま流しやがった。

タツこともままならないタツはベンチに下がり、みんなにヒザが曲がらない方向に曲がったと説明したが、そんな訳ねーだろとか言ったかどうかは覚えていないが、誰も信じてくれなかったことは覚えている。

誰も心配してくれなかったお陰で、もしかしたら何でもなかったのかも?
と思ってしまったオレは痛いのを我慢して子供と一緒に電車で家に帰り、翌日にはよくなっているだろうと楽観視していた。

あーあ、この話し長くなりそう・・・・。


翌日にはよくなっているだろうと楽観視していた。

ところが翌日になっても良くならず、逆に痛みが増していた為、アドベンで調べて貰った。そしたら、やはりヒザが曲がらない方向に曲がるんだよ。
(若干だけどね・・・) やっぱり、オレは間違ってなかったと思ったが、それでも状況が状況だけに全く嬉しくなかった。
試合会場で唯一、相手のキーパーが心配してくれたが、今から考えると、やつにはブチ切れる音が聞こえたに違いない。

どこまで靭帯が痛んでいるか、精密検査が必要とのことで、MRIを受けにアドベンの指示で違う病院に行った。
KLNサイドにあるQueen Elizabeth病院ではMRIを受けるだけで、医師との面談はなかったが、MRIを操作する医師が、結果を見ながら、どうしてこんなことになったんだ?と聞いてきた。 結果を知りたいオレは、どんなことになっているんだ?
と聞き返したが、診断するのはアドベンの役割なのか、どんな状況か教えてくれない・・・・。もったいぶりやがって・・・・。
(ちょっと表現が違う? もったいつけやがって・・? ま、いいや)

アドベンにMRIの写真を持っていくと、医師は内側の靭帯が完全に切れているのですぐに手術しなければならず、従い即入院だと言ってきた。入院の期間を聞くと約1ヶ月とのこと。熱血サラリーマンに1ヶ月の入院が課せられると、帰任を告げられる恐れもあったので、この医師の言っていること信じないことにした。

さて、アドベンの医者の言うことを聞いていたら、手術されちゃうし1ヶ月入院となってしまうので、ここには見切りをつけ、MRIの写真を持って、別の病院で見てもらうことにした。

上記の経緯をみんなに報告したら、アドベンは金儲けが一番大事だからすぐ入院させるとか、骨折したが曲がってくっついたとか、薬を貰ったけど効かないとか、これから出産予定だとか、まぁ、あまり関係ないアドバイスをみんなくれたなー。

そんな中で一番面白かったのは、元祖レク松。 ひざだったか、足首だったか忘れたけど、やはりMRIなどをとった結果、医師の診断は「ほっとけば治る」。HK$5000払って、そんな診断はないだろう。
そして、ずっと痛さが取れないので、怒った松ちゃんはMRIの写真を持って日本の医者に見てもらう。 どこが悪いのか結論はでなかったが、湿布を貼っておいたら治ったとのこと。 やっぱりアドベンはヤブだと強調していたが・・・・。 ほっておけば治ったんじゃん。

脱線しちゃった。

MRIの写真を持って行ったのは、家から近いSt. Paul Hospital。
ここはママさんバレーで十字靭帯の手術を受けた人から紹介された。
で、MRIの写真を先生に見てもらったら、やはり切断しているとのこと。
やっぱり切れているものは切れていた。アドベンの先生も間違ってはいなかったのだ。

それじゃ、手術 & 入院も仕方がないと諦めかけたところ、先生は手術も入院も必要ないという。一度切れた靭帯はもとに戻ることはないが、周囲の筋肉を付ければ基本的に問題ないし、最近は内側の靭帯単独で手術することは少ないとのこと。 
サッカーも完治すればできるようになるというので、引退を撤回すべくリハビリを頑張ろうと心に誓った。

さて、ここで何故靭帯を切ってしまうほど、真剣に試合をやっていたか(当然、今でも真剣なんだが、)というと、当時のシューターズが所属していたHK FA 3部リーグは1部まで昇格すると日本でいうJリーグに当り、所謂プロへの道も開けるといったところか。。。

試合は45分ハーフで、しかも3人までしか交代できず、2部に上がると更に大変な試合が待っている為、シューターズのオヤジは3部で優勝しても2部への昇格は辞退しよう、との意見で一致していた。 
万が一にも、そんな可能性はなかったのだが、恐れを知らないオヤジどもは、そんな話しをしていたと覚えている。

シューターズの戦績はどうだったかと言うと、靭帯を切るまでの戦績は非常に悪く、大幅に負け越しており、最下位かその上かといった感じ。
ところが、この試合以降、調子を上げ、連勝街道を突っ走り最終的に勝率5割くらいまで戻したのだった。

つまり、この一連の勝因はオレが靭帯を切り、シューターズの厄を落としたことによるものである。 もう一つ付け加えると、前キャップの近ちゃんもこの試合で怪我をし、長期離脱したことも彼の名誉の為に付け加えておこう。


怪我には注意しましょお!
第一話 たのきんトリオ見参!の巻
2005年06月27日 (月) 00:00 | 編集
あれ?土曜日なのにシューターズ関連のメールが着てる?
ん?よく見るとせ◎のさんから?タイトルは・・・『金太来港』???
なになに?伝説の?金太が来港?で、飲み会決行?
せ◎のさんがおやじ会のごとく仕切ってるよ?!
いや、それよりも、せ◎のさんが心躍らせて仕切ってしまう程の『伝説の金太』って誰よ?
そもそも金太って名前はどうなのよ?
そして、澳門じゃなくて香港に着くのかよ!?

という状態のあなたに送る、幻の列伝エピソード1。
初めて読む人もそうじゃない人も、是非、御一読ください。


Long time ago in Asia far far away....

 私(関口)が始めてシューターズの試合にデビューした1997年3月28日、その同じ日に、元駒沢大学サッカー部キャプテンという看板をひっさげて華々しくデビューを飾ったのが、エース関野である。一方の私は、ドバイ半年と香港半年の乱れきった生活の余韻をひっさげ、体重が 10kg以上膨れ上がり、往年の動きは望むべくもない状態であり、事実そのデビュー戦では鈴木カントクから、「じゃあ、後半の最後10分、サイドバックでおねがーい」と言われ、ほとんどボールもさわれないまま試合を終えたのである。そしてその日以来、私は関野の事を勝手にライバル視するようになったのであった。次の試合の日の試合前、軽やかにリフティングをする関野を横目に、回らない腰を必死に回し、10メートルダッシュをしただけで息切れしそうになる私にいきなり声をかけてきたのが金太、本名森山光則である。「あれ、あー、あなた、おーなるほど、こまっちゃん(小松本さん)の言ったとおり、大仁田に似てるねー、あ、おれ、金太」金太とは変な名前だなーと思いつつ「ダレよ、大仁田に似てるなんて言ったのはー、それってプロレスラーじゃねえかよ、俺の名前は関口だ!」これが金太と私との腐れ縁の始まりであった。

 金太の名前の由来は直ぐに知れた。次の週の飲み会の時の事である。誰が連れてきたかキャセイのスチュワーデスを何人か引き連れた、我がシューターズの面々は、あの伝説の巣窟、香港にもあるカラオケボックス、ビッグエコーへとなだれ込み、カントクの18番、ヒロミ・ゴーの"言えないよー"で幕をあけたカラオケ大会は、圧倒されて口が開きっぱなしのキャセイの女の子を尻目にえんえん続き、最後に金太の歌う"金太の大冒険"で幕を閉じたのだったが、その時の金太の格好と言えば、派手な彩色の海パン一枚だけの裸に、首からネクタイだけ締めてるだけというものだったのだ。「きーんちゃーん、毎度ごくろーさん」というカントクのねぎらいの言葉に「いやーもー、この歌だったら完全にそらでもいけますからー」と答えた金太だったが、別に歌詞を完全に暗記している訳でもなく、単にのりで歌ってるだけだという事は誰の目にも明らかであった。それはともかく、金太が異常な程の3枚目路線で皆を盛り上げる一方で、デビュー以来サッカーでもさすがの実力を発揮し続ける関野は、その容姿・容貌とあいまって、完全に2枚目路線を突っ走っており、カラオケが終わる頃には、キャセイの子は皆関野の周りに群がって離れようとせず、金太、カントクをはじめ皆を悲しませた。一方金太のサービス精神に同調した私は「スッチーがなんぼのもんじゃい」と金太と一緒に怪気炎をあげつつ、後で「関野ちゃーん、今度飲み会やろーよ」と媚びを売っておく事も忘れなかった。

 関野が意外とくだけた奴であるという事に金太と私が気付き出すのに、たいした時間はかからなかった。確かに私らと違って、女にはもてる奴ではあるが、男同士の付き合いも大事にする奴だった。しかも3人とも丙午生まれ、独身、どころか、彼女無しという事が分かると、いつしかチームメイトからは、いつも3人ひとくくりに見なされるようになってきた。そしていつしか我々3人組は、シューターズのたのきんトリオと呼ばれるようになったのである。すなわち、大仁田の"た"(おいそれ違うだろ!)関野の"の"金太の"きん"である。はっきり言って関野は迷惑がっているふしがあったが、関野を押さえとけば、合コンのチャンスが無限にあるとふんでいた私と金太は大歓迎であった。かくして3人の彼女捜し競争が始まった。黙っていても女がついてくる関野は、要は自分の気持ちだけの問題であったが、そうはいかない私と金太は自分から努力をして女の子にアプローチをかけねばならず、特に金太は持ち前のサービス精神もあいまって、ノイローゼ寸前になりながら、涙ぐましいまでの必死の努力を続けた。その甲斐あって、その年の年末に一歩リードしたのは金太であった。1998年の元旦1月1日にまだ彼女のできないでいた関野と私は、2人でスタンレーでビールをがぶ飲みしながら、今頃東京でリボンちゃんを口説いているであろう金太に想いをはせた。金太が実費でリボンちゃんを口説く為に帰国したのはこれでなんともう3回目だった。11月の帰国時にかなりの好感触を得てきた金太は、今度で決めてくるぜ、とこの正月に又帰国していたのである。今迄の経緯から誰もが金太の成功を信じて疑わなかった。しかし、元旦が過ぎて、香港に戻ってきた金太に舞いこんできたのは、「やっぱりごめんなさい」と書かれた東京のリボンちゃんからのたった一枚のFAX であった。「金太のどこが悪いんだよなー」と愚痴る関野の隣で私は「良かった、先を超されなくて」と密かに思ったものだった。それにしても、「ごめんなさい」の連絡を、たった一枚のFAXで済ませたリボンちゃんもまた、シューターズで語り継がれる伝説の一つとなったのであった。

 あれから早や5年、関野と金太は既に結婚相手を見つけ、昨年から今年頭(2002年から2003年)にかけて、相次いで2世誕生。関野の奥さんはやっぱりというか何と言うかキャセイのスッチー。今は昨年9月に生まれた龍太郎を目に入れても痛くないほどの可愛がりようである。ただし独身時代の関野は女の子にもてもてであったが、最近の関野は、単なるおやじ以上おやじ未満のおやじとなっており、往年の栄光はもう望むべくもない。とはいえサッカーの方では、年相応に衰えつつあるとは言え、未だ実力的にはシューターズのエース的存在を保っており、チーム内でのその存在感は非常に重い。金太はリボンちゃん事件以降、多くの浮世の荒波にもまれつつ、ついに運命の人かよちゃんと出会い結婚した後、昨年とうとう日本へ帰国。2002年5月12日のHKFA最終戦での涙の退場シーンは未だ私の脳裏に焼きついて離れない。おしまれつつ日本へ帰国した金太であるが、現在では今年1月に生まれたばかりの朗生(ろお)くんに、「金太の大冒険」の歌と振り付けを教え込んでいるのではないかとの噂が絶えない。一方の私については多くを語る必要はないであろう。未だに毎週末はワンチャイのゴーゴーバーに入り浸り、単なる飲んだくれのおやじ状態であり、結婚・子供などはまだ夢のまた夢という香港生活が続いている。きっとこれからも同じような状態がずっと続いていくんだろうな、下手すると永遠に。

written by Sekiguchi
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